世界最悪の人災ワースト3

人類の歴史上、最も被害が甚大で、最悪かつ破壊的な人災は数多くあります。原子力発電所のメルトダウンや海底油田の流出、化学物質の爆発、地雷の崩壊など、残念ながら、人為的な災害はどの時代においても発生してきました。そこで今日は、こうした史上最悪の人災で何が起こったのか、また、人類がいかに重要な役割を担ってきたかを紹介します。

アバーファン炭鉱崩落事故

イギリスでは大規模な人災が起きるのは珍しかったため、1966年のアバーファン炭鉱崩落事故は、より悲惨なものとして人々の記憶に残っています。アバーファンはイギリスの南ウェールズ渓谷に位置し、1869年に建設された炭鉱を中心に形成された村でした。1966年までにはこの炭鉱村は大きく発展し、村の周囲には採鉱廃棄物が積み重なった巨大なボタ山が7つできていました。

ところが、1966年10月、アバーファンの集落に15センチ以上の雨が降ったことで、7つ目のボタ山が崩れ落ちたのです。スミソニアン誌によると、1966年10月21日のグリニッジ標準時9時15分頃、大量の浸水した瓦礫が山から崩れ落ち、時速11〜21マイル(約17〜34キロメートル)、最大で30フィート(9メートル)の高い波となって、村の集落に向かって移動していったそうです。その結果は、もちろん惨憺たるものでした。インディペンデント紙によると、この雪崩で144人が死亡し、悲しくもそのうち116人が幼い子供であったそうです。

セベソ事故

イタリアのミラノの北にある農薬工場で起きた爆発事故。Chemosphere誌によると、1976年7月10日土曜日、この工場では、化学兵器や除草剤に採用されている2,4,5-トリクロロフェノールという化学物質を生成していたそうです。

その日、作業員の人為的なミスによって、化学反応が熱暴走し、原子炉が破裂。結果、6トンの有害な化学物質が大気中に放出されたのです。

科学雑誌『Environment International』によると、その放出された物質は、セベソの町を含む周辺地域の6平方マイル(18平方キロメートル)に広がったそうです。地元の子供たちは皮膚の炎症で入院し、何百人もの地元の人々が皮膚病にかかり、広大な土地に住む人々が避難を余儀なくされました。また、事故当日に何千匹もの動物が死にましたが、さらに食物連鎖による拡散を防ぐために、生き残った動物も殺されました。

このセベソで起きた大惨事は、長期的な影響も及ぼしました。1976年以降、循環器系や呼吸器系の疾患で死亡する住民の数が増加し、ある種のガンがより一般的になったという研究報告もあります。

チェルノブイリ原発事故

チェルノブイリ原発の爆発事故は、間違いなく世界で最も悪名高い人災の一つでしょう。この事故は、原発の非常用水冷装置が停電時に機能するかどうかを確認するために、技術者が通常の実験を行ったことから、何の変哲もない行動からすべてが始まったのです。

この実験は以前にも行われたことがありましたが、この時は電力サージが発生し、チェルノブイリの原子炉を停止させることができませんでした。その結果、1基の原子炉の屋根が吹き飛ばされ、炉心がむき出しになり、有害な放射性物質が大気中に放出されてしまいます。

調査によると、事故後数年の間に、何千人もの人々が放射線の影響によりガンで死亡したそうです。また、史上最も復旧費用のかかる人災のひとつでもあり、炉心の封じ込めと清掃作業は2065年ごろまで続くと予想されています。